中国地方屈指の戦国大名も
さすがの元就にはかなわず、ついに月山富田城は落城。



写真左は、月山富田城の遠望。義久の祖父、尼子経久の眠る洞光寺からの眺め。
戦国時代を代表する日本屈指の城も元就の策略と持久戦の前に落城する。 義久はじめ尼子三兄弟と重臣たちは捕虜として安芸に連れていかれる。
写真右は、安芸での義久たちが幽閉された向原の延命寺跡。ここに23年間幽閉されたのち、関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元の長州転封にしたがって、尼子兄弟は山口の奈古へ移動する。
写真左は、延命寺跡にたたずむ尼子の墓。昔から尼子三兄弟の墓と言われてきたが、本当のところは義久らに付き従ってきた重臣らの墓と考えられている。
写真右は、山口県阿武町の大覚寺。
義久兄弟は毛利輝元の転封により、安芸の向原からこの地に移動してきた。この地で千石余りの給付を与えられ、生涯をこの地で閉じる。尼子の姓を本来の佐々木に換え、弟の子を養子にしている。
尼子氏のルーツは、京極氏、さらには佐々木氏(佐々木道誉で有名)に遡る。
写真左は、大覚寺境内の裏山にたたずむ尼子義久の墓である。尼子氏の家紋が墓を囲い、印象的である。かつての中国地方屈指の戦国大名尼子氏の最後の終息地は、美しい日本海の見える小さなひなびた町であった。

 
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