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大石内蔵助手植えの枝垂桜



三次は、中世三吉氏の城下町として、江戸時代前期には三次浅野藩の城下町として栄えた街である。
  そんな三次の城下町の雰囲気を残している一角にある鳳源寺境内に『赤穂義士大石良雄手植えの枝垂桜』なるものが伝えられている。
  大石良雄とは、大石内蔵助であまりにも有名な忠臣蔵の中心人物であることは今さら説明するまでもないが、どうして内蔵助が植えた桜の樹が三次の地にあるのかということだ。

  まずは、三次浅野藩のことを説明しよう。
  三次浅野藩の初代藩主長治は、初代広島浅野藩主浅野長晟の嫡男として妾腹に誕生する。しかし長晟が家康の意向で家康の娘を正室に娶り、次男光晟が生まれ、光晟が浅野本家の家督相続に指名される。
  そこで、幕府は嫡男長治には、領内の三次に五万石を分知して立藩させることにする。 これが三次浅野藩誕生のいきさつである。
  長治は大変英明な君主であったらしく、現在でも三次の人々に尊敬されている。その長治の二女に阿久利姫が誕生する。これが後の赤穂浅野長矩の正室となる姫である。
  その阿久利姫と浅野長矩との縁組みを幕府に許可され、三次に阿久利姫を迎えに来たのが若き大石内蔵助だったのである。写真の枝垂桜は、そのとき大石内蔵助が植えた桜なのである。
  阿久利姫は七歳まで三次の地で過ごし、輿入れのため江戸屋敷へ出立していく。
  現在でも阿久利姫が五歳のころ姉妹そろって、のんびり一日を過ごした庄屋の屋敷跡が残っている。そこから夕暮れに映える三次の街並みを見下ろしたことであろう。 無邪気な阿久利姫が思い浮かばれる。



 
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