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第10回  佐々木小次郎のツバメ返し、岩国に誕生す




2003年のNHK大河ドラマとして、『武蔵』が放映されているが、吉川英治氏によって一躍国際的なサムライとして知られるようになった宮本武蔵については、未だその出生についてははっきり知られていないところが多いようである。
 一方、厳流島の決闘で名高くなった佐々木小次郎の方についても、武蔵以上になぞの多いサムライとなっている。
 佐々木小次郎に関係する土地としては、福井県福井市浄教寺、同じく福井県の今立町に佐々木小次郎の銅像が建立されている。そして最後がここ山口県岩国市である。今回の放映を記念して下関市にも新たに岩国の銅像と同じデザインで建立されたようである。

 彼の出生地については、@越前の浄教寺村説、A近江観音寺城説B越前今立説 C出羽最上説 D周防岩国説 E長門説 F豊前岩石城説 G肥後熊本説など諸説入り乱れているが、どれも確証のあるものとなっているわけではない。

 岩国誕生説は、宮本武蔵の原作者吉川英治氏の着想と言われているが、福井県、広島県、山口県に小次郎の子孫と言われている方々が居られると言われ、その家紋は近江源氏の血を引く家紋「四つ目結」だそうである。

 ここで自説を少々。
 そもそも佐々木小次郎なるものは実在しなかったというのが1つの可能性。
 もうひとつは、岩国、長門、近江から福井にかけて出自の噂があるのと、その子孫の方々の家紋が「四つ目結」という事実の点を結び付けていくと、どうも尼子氏の匂いがしてくるということ。

 尼子氏はこのサイトの毛利元就のコーナーでも取り上げてあるように、毛利元就に富田城を落とされた後、一時安芸の向原に幽閉されていたが、毛利輝元の時代に防長二カ国に押し込められたとき、尼子氏も毛利氏に従って長門に移動している。そして晩年は元々の佐々木氏に名を変えているのである。尼子氏は佐々木源氏である京極氏の氏族で、もともと近江に居た豪族だが、出雲の守護代として山陰の地に赴任してきて戦国大名に飛躍した一族である。

 尼子氏最後の当主尼子義久と他二人の兄弟の墓は、現在山口県阿武町の大覚寺に所在しているが、阿武町には、面白いことに佐々木小次郎が妻帯していた伝承とその妻が子を生んでいること、小次郎の子孫が復讐の念に燃えないように、「佐々木古志らう」という刻んだ墓が所在しているという。
 これは単なる偶然の一致と言うには、話が出来すぎているような気がするのだが。


 
 
 
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