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No.12 豊臣秀頼、薩摩で生き延びていたの巻 



 豊臣秀頼といえば,大阪夏の陣による落城によって、生母淀殿と共に自害して果てたということになっている。 しかし、当時から秀頼生存説は風聞として世間に流れていたようである。 薩摩島津氏のお膝元に谷山という地区があるが、ここに昔から豊臣秀頼の墓と言い伝えられてきた五輪塔がある。
 地元では、大阪落城後しばらくして、薩摩の谷山にどこからともなく浪人がやってきて住み着いたと言う。さらに錦江湾の奥地にある加治木というところにも山伏一人と浪人一人が住み着いて、いっしょに行動するところを時折見られたと言う。 地元では、加治木に流れ着いた山伏は真田幸村、浪人の方は木村重成、谷山に住み着いたのが豊臣秀頼ということになっている。

 木村重成は、京都から南下してくる徳川隊を長曾我部盛親隊と協力して迎撃するため、五千の兵を率いて出陣。当然討ち死に覚悟の出陣であった。井伊隊との戦闘で討ち取られ、その首は家康の前で首実検に供されたという。家康から「生きていればよき将になったものを」と惜しまれたと言う。
 真田幸村のほうは、最後の決戦を挑むべく茶臼山に陣取って、秀頼の参陣を待っていたが、ついに秀頼本人の出陣の可能性がないことを悟ると、約一万の軍に家康本陣への突入を指令した。真田幸村の最後の死に方であった。討ち死に覚悟の真田隊は、松平忠直の隊を突き破り、その後方の家康本陣に突入し、一時は家康本人すら危険な状態に見舞われることになる。しかし次第に気力体力ともに衰弱していく真田隊の前に勝利などなく、田の畦で近習数人と休息していたところを松平忠直の配下のものに討ち取られてしまう。真田幸村49歳である。
 当の大阪方の大将秀頼といえば,真田幸村からの再三の城外への出陣督促にも関わらず、ついに大阪城の外へ出ることもなく、母親とともに山里曲輪というところで自害して果てると言う大将らしくない最後を遂げることになる。 実は、幸村は長男の大助を秀頼の近習に付かせ、いざと言うときは、大阪方の大将として出陣させるという計算だったようである。幸村は決戦当日四度ばかり大野治長を介して秀頼にご出馬あるように促したものの、秀頼としてはせいぜい大将としてその姿を将たちに見せて回ればよいとという程度の認識だったらしい。そういう秀頼側の認識も計算の上に、幸村は大助に、ひとたび秀頼が城外に出られたならば、拉致同然に茶臼山の真田隊に連れてくるように言い含めていたらしい。
 
 しかし、ついに秀頼が出陣することはなかった。 秀頼が自害した山里曲輪というところは、天守閣北側の一段下がったところに構築された曲輪のことで、秀吉が茶や風情を楽しむために設けた一角と言われている。 大阪方の勇将たちが次々と城外で討ち死にすると、他の隊は城内に引き上げていくが、そのような折、徳川方に内通していた台所頭の大隅住与右衛門によって放火され、台所から上がった火の手は見る見るうちに城全体に広がっていった。城内に立てこもって最後の決戦の覚悟をしていた大阪方は、この放火によって完全に士気をくじかれる羽目となり、討ち死にという武将としての優秀の美を飾ることもなく、敗戦の士となっていくのである。 秀頼と淀殿母子、それに秀頼の妻千姫は天守閣に登り最後のときを迎えようとしたらしい。しかし速水治久初めとする側近が千姫を帰し、懇願すればあるいは命は助けてもらえるかもしれないと進言しらしく、大野長治が千姫を城外に脱出させ、徳川秀忠の元に送り届け秀頼母子の命を嘆願したという。 秀忠は、家康に相談。家康は、悩んだ挙句に秀頼の死を命令する。 ところが、天守閣が焼け落ちたとき、当時の常識として城主は天守閣で最後を全うすると考えられていたが、徳川方による詮索によっても、天守閣に秀頼母子の死体の形跡がなかったことで、徳川方は、城外へ脱出したのではなかろうかと、疑心暗鬼にかられる。
 
 また、淀殿の侍女お菊が語ったとされる『おきく物語』によれば、秀頼母子が潜んでいた山里曲輪の糒庫が倉庫ではなく初めから隠れ場所として用意されていたこと、秀頼がそこから脱出した可能性も否定してない。裸になり蓑に包み、船の二重底に隠して大阪湾へと逃がしたという風説もある。

 そもそも薩摩には、関ケ原で敗れた宇喜多秀家が一時かくまわれていたという事実があるので、その史実と秀頼の生存が、庶民の意識の中でオーバーラップしたのではないだろうか。 因みに、谷山にあるこの五輪塔の真偽を確かめるため、先の戦後 掘り返したそうだが、何も出でこなかったという。 しかし、この一体はいつしか木下郷と呼ばれるようになり,現在も木下川という地名は残っている。木下とは、豊臣の前進である姓である。浪花の夢は、遠く薩摩でかなったのだろうか。?


 
 
 
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