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浅野長治    広島県三次市


浅野長治は、1632年に広島の浅野本家から支藩として立藩した三次藩五万石の初代当主です。広島藩浅野本家初代の浅野長晟の跡を継いだ二代藩主浅野光晟は、異母兄の長治に五万五を分知し三次五万石を立藩させます。光晟は徳川家康の娘婿にあたること、長治がたとえ長子でも庶子であるということから、浅野本藩は次男の光晟が継ぐわけです。
 長治はこの三次の町の整備に大変尽くし城下町発展の基礎を作ります。その痕跡は今でも三次の町にところどころ残されています。
 浅野長治の墓をこのシリーズのトップに掲載したのは、この墓所を探し当てたとき、それまでの墓所とは違った感動を覚えたからです。彼の墓所は中世この地を支配していた三次氏の山城比熊山城跡のある比熊山の山麓にあります。三次の市街地が一望できる場所にあります。その墓所の近くには君主の死後墓守をしていたという家臣福田藤兵衛の庵跡があります。江戸屋敷で死んだものの、遺骸ははるばるこの三次の地まで運ばれ埋葬されたといいます。死んで故郷の地に還っていった浅野長治、今でも三次の人々の記憶の中に生きているような気がしました。この長治の娘が後に時代を賑わす「赤穂藩浅野長矩」に嫁ぐあぐり姫、後の「ようぜんいん」になります。
 三次の町は山陰と山陽地方とのちょうど中間地帯の交通の要所にあたるところに位置している町で、とても落ち着いた町です。三次五万石は約70年間ほどで広島本藩に合併されなくなりますが、広島とは違う文化を感じるのは、浅野長治の治世を抜きにしてはありえないような気がします。ひっそりと静かに中国山間部にたたずむ三次の町が私はとても好きです。




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