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伊東氏  宮崎県西都市


写真は宮崎県西都市の大安寺墓所にある伊東氏歴代の墓です。
 第五代、七代、八代、十一代の墓が残されています。
 伊東氏はもともとも伊豆地方の豪族で、曽我兄弟によって打たれた工藤祐経がそのルーツになります。祐経の子祐時が源頼朝から日向地頭職を与えられ、いらい伊東家と日向が結びついていきます。
 大安寺は、伊東氏の居城 都於郡城の近くにあり、伊東氏全盛のころは周囲に十を越える寺院が建てられていました。日向に居を定めた伊東氏は、四代祐立のころ都於郡城を築城し、日向一体から薩摩との国境線にまで勢力を広げていきます。十代義祐のころが、絶頂期で、海外交易による富に支えられ、京都を擬して街づくりが行われるほどでした。義祐自身も地方の領主クラスとしては珍しく、三位の位を受官しています。
 しかしその伊東氏の繁栄も、つかの間で、義祐の代には、島津氏の日向への攻勢が始まり、伊東氏支配下の武将たちが次々に寝返り、義祐一行は城を捨て、わずか100余名ほどで、豊後の大友宗麟を頼って落ち延びていくことになります。
 義祐の三男祐兵が豊臣秀吉に仕え、その後関が原では東軍に付き、戦後旧領日向の日南飫肥に領地をあてがわれ、江戸時代を生き延びて生きます。


関連情報
古城紀行―都於郡城
近世城郭紀行―飫肥城 

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