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吉川経高―広島県大朝町

写真は吉川氏5代目の吉川経高の墓です。広島県大朝の山林の中にあります。
 吉川氏はもともと駿河にいた一族ですが、経高のとき、一族が各領地に分散します。当時80歳という齢に達していた吉川経高は、安芸国の大朝本荘に駿河から移動してきます。   経高には、四人の弟たちがおり、それぞれの兄弟に領地を分割相続し管理させます。末弟の経時には駿河の本拠地を、長弟のに経盛には播磨の福井荘を、二弟の経茂には大麻の鳴滝村、のちには石見の津渕村を、三弟の経信には大朝本荘の一部をそれぞれ与えます。そしてそれぞれ駿河吉川氏、播磨吉川氏、安芸吉川氏、石見吉川氏として根付いていきます。
 この吉川一族の中でも、歴史の舞台に登場してくるのは、毛利氏との関係が深かった安芸吉川氏となります。この安芸吉川氏の初代が、吉川経高ということです。この地に移住してきたのが1313年、1319年に家督を嫡男の経盛に譲り、その年に86歳という高齢で没。
 現在の大朝には彼が駿河から移住して本拠として築城した《駿河丸城跡》や《龍山八幡神社》などが残されています。
 関連情報は 毛利元就紀行の吉川氏の家系と歴史 にもあります。 

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