サムライたちの墓>
吉川経安―島根県温泉津町

石見吉川氏九代目の吉川経安の墓です。吉川経安の息子が吉川経家になります。吉川経家の名は、鳥取城攻防戦において歴史にその名を不滅のものとして刻まれることになります。
 石見吉川氏の本拠地は殿村という地であったのですが、経安の代に毛利氏からこの温泉津の地をもらって、経安の代に長らくの本拠地を捨てて、この温泉津の福光城(不言城とも言う)に築城。温泉津は山陰海岸の良港として知られ、石見銀山と直結している港でもありました。そのあたりに経安が長い本拠地を捨てて、この地に移住してきた理由があるかも知れません。しかしこの地に城を構えることわずか30数年、三代で城は廃棄されます。向かって右手の墓は妻の墓です。  

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