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河野通直  広島県竹原市


写真は河野通直の墓です。 河野通直は、伊予の湯築城の城主で、もともと古くからの伊予地方の豪族です。
 その河野氏の墓がこの血家原の地にあるのは、河野通直が小早川隆景を頼ってこの地に隠居したからです。

 1585年豊臣秀吉の四国征伐が始まると、その先陣を毛利氏が勤めることになります。伊予に上陸した毛利軍は、伊予の太守河野氏の拠る湯築城を包囲。河野通直の妻が小早川隆景の姪という間からであったので、通直は小早川隆景の薦めに従い投降。小早川隆景には、秀吉より伊予の地35万石が改めて与えられ、毛利氏の陪臣から秀吉直属の家臣という立場に変わっていきます。
 一方投降した通直は、小早川隆景の庇護の下、この地竹原に移り住み、余生を送ることになります。しかし1587年7月14日この地で亡くなります。 隆景は、河野通直の菩提を弔うために小早川氏の地竹原に長生寺を立てます。この墓は、竹原の町並みを展望する長生寺の墓地の一角にあります。はるか海の向こうには河野氏の故郷伊予の山並みが、晴れた日には展望できます。
 
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