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熊谷元直  広島県千代田町 

写真は、《有田中井田》合戦場跡に建立されている熊谷元直の墓です。
 《有田中井田合戦》は1517年に行われた合戦です。この合戦が注目されるのは、毛利元就にとっては初陣ながら、安芸国の守護として盟主的立場にあった安芸武田氏の当主を戦死させ、元就の華々しいデビュー戦として広く聞こえたということです。合戦の前評判は、5千の兵力を保持する武田氏、強力の熊谷氏などの優位にあつたにもかかわらず、弱勢の吉川、毛利勢が勝利したことで、《西の桶狭間》とも言われてきました。
 この合戦の詳細な模様は、《陰徳太平記》に描かれていて、歴史再発見のコーナーでも取り上げてありますので、そちらもご覧ください。
 熊谷元直は、この合戦に武田軍として加勢します。時の勢力図は、武田氏とそのシンパとして熊谷氏、香川氏などの国人領主が加勢します。対しては、有田城を境にした吉川氏とその加勢に毛利氏が加わります。
 熊谷元直は中井田と呼ばれていた有田城から数キロ先の毛利氏勢力側を守備していたようです。したがって、毛利氏勢が有田城へ侵攻するには、まず熊谷氏の守る《中井田》の砦を打ち破る必要があります。
 毛利氏は数百の兵力で決死の覚悟で中井田の砦を攻撃します。そのような戦況の中で 熊谷氏は油断を突かれて、毛利氏配下のものに討ち取られてしまいます。この戦には後日談があり、元直の妻が、主人の遺体はどうなったのかと、逃げ戻ってきた家臣に聞いて、戦場に放置してあることを聞いて、憤慨し、その夜、馬にのって霧深い戦場に主人の遺体を探しにいきます。遺体についていた傷跡から主人を遺体を見つけたものの、とても女手ひとつでは持ち帰ることができず、形見に腕を引きちぎって持ち帰ります。その腕を洗ったと言い伝えられている井戸が、熊谷氏の菩提寺観音寺跡に今でも残っています。史跡物語の第11回で取り上げてありますので、ぜひご覧ください。


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