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桑幡氏の墓  鹿児島県霧島市


写真は鹿児島神宮の歴代神官であった桑幡氏の墓所です。鹿児島神宮入り口にあります。
 鹿児島神宮の別名は、《正八幡宮》で、これは全国の八幡神社の総本元である大分の宇佐八幡宮に対して、こちらが正真正銘の八幡神社であることを主張しているわけです。
 八幡神社発祥の地は、間違いなく大分の宇佐八幡宮であるわけですが、鹿児島神宮が、正八幡神社と主張するだけの理由があるわけです。
 その歴史的発端は、8世紀初頭の大隈における隼人族の大規模な反乱に対して、朝廷が隼人族懐柔策として実施した、大量の宇佐他方の秦氏系統の移民政策によるものです。
 宇佐八幡宮の内部での勢力争いが、古来の宇佐氏と、その後に豊前地方にやってきた渡来系の秦氏一族の辛島氏との間にあり、辛島氏は新たな拠点としてこの大隈の地に移住してきたのではないかと推測されます。それ以来、大隈のこの神社こそ、八幡神社の正統であると主張し続けてきたわけです。
 桑幡氏は、このとき以来、この神社の祭祀として連綿と歴史を刻み続けてきた一族です。そういう意味では、薩摩の地では島津氏などより古い歴史を持っている一族と言えるのですが、もはや鹿児島神宮と秦氏との繋がりなど、歴史のかなたに消えていきつつありますのでこのページに記憶として残しておきたいと思い掲載しました。


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