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益田兼見   島根県益田市


写真は益田氏第11代の益田兼見とその父兼方の墓です。大きい方が兼見の墓です。
 益田氏は藤原北家の流れで、永久年間に石見国に下向した藤原国兼を祖とするとあります。はじめは現在の浜田市にあった国府に石見国司として下向したものの、任期が終わっても京都に帰らず そのまま土着していった豪族です。初めは浜田の御神本に土着したところから《御神本氏》と呼ばれていたものが、四代目の兼高の代に益田に本拠を移します。それ以降益田氏と名乗ります。
 石見一帯に支配地を持つ大豪族で、他に三隅町の三隅氏、浜田氏の周布氏、旭町から江津市にかけての福屋氏も益田氏から分かれた一族です。
 益田兼見は、南北朝動乱の中、益田家の惣領として、北朝についたり、南朝方についたりと、所領を死守するために各地に転戦し、その後の益田氏の基盤を作り上げた武将です。現在益田市に残されている《三宅御土居》に館を構え、万福寺を建立し 自身の菩提寺とするなど、益田市の文化的史跡を今日に残しています。

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