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益田兼尭の墓   島根県益田市


写真は益田氏第15代の益田兼尭の墓です。
 兼尭は益田氏本流ではなく、分家であった城に誕生。しかし1431年に大内氏に従って大友氏との戦いで本家の益田兼理とその嫡子常兼が二人そろって戦死したので、益田惣領家と分家との分裂の危機に陥るところ、家臣一同『兼理の御子息松寿殿を益田の惣領主人と仰ぎ奉り、二心なく忠節を致し、一味同心、御用にまかり立つべし』と惣領家のもと一致団結して、松寿殿のちの兼尭が15代当主となります。時代は応仁の乱へと突入していく戦国時代嚆矢の頃です。

 歴代益田氏の中でも人格、武術供に優れた武将として評価が高く、雪舟などを益田に招聘したのも、彼の教養の高さを物語る一面かも知れません。

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