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米良筑後守重方  宮崎県須木村


写真は米良筑後守重方の墓です。宮崎県須木村にあります。
 米良筑後守重方は、日向の大名伊東氏の配下にあった武将ですが、もともとは肥後の菊池氏の一族です。南北朝時代に南朝方についた数少ない武将として名を馳せた菊池武光の菊池氏は現在の宮崎県椎葉村一帯にその分家が広がります。米良氏も菊池氏の最盛期に日向の地まで進出、その後菊池氏の滅亡の一方で、日向の山間部で逆に存続できた一族と考えられます。米良荘にちなんで米良氏を名乗ったものと考えられます。
 写真の墓は米良筑後守重方のものです。彼はこの地の領主として、一方では伊東氏の傘下に下った武将として、1572年の《木崎原合戦》で、伊東氏の武将として参戦し戦死します。この戦いをきっかけに日向一帯に覇権をとなえていた伊東氏は衰退し、薩摩島津氏が日向方面に進出していきます。




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