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毛利弘元  広島県安芸高田市 

写真は猿掛城跡にある毛利弘元負債の墓です。
 毛利弘元は毛利元就の父に当たります。母は、毛利氏一族の福原氏で福原弘俊の娘です。  弘元はもうり 豊元の嫡男として1468年に誕生。幼名千代寿丸。父と豊元が早く死んだので、わずか9歳にて家督を相続。11歳のとき大内政弘の偏諱をうけて、毛利弘元と名乗ります。弘元の時代の毛利氏は、大内氏の勢力下で波に揺られるがままに生き残るしかない弱小豪族の悲哀を味わざる得ない時代です。
 1499年、足利将軍と前将軍で山口の大内氏の庇護下にあった足利義稙の両者から、命に従うように誘われます。将軍の命に背くこともできず、かといって、大内氏の庇護下にあり、大内義興の意に反することもできず、窮地に立たされます。そこで、家中の意見を聞いて、弘元は、翌年1500年3月、若干33歳にて隠居することにして、家督を嫡男興元に譲り、次男の元就を連れて郡山城から猿掛城に引っ込むことになります。こうして毛利氏は次の興元と元就の時代に移っていきます。
 傍らにある夫人の墓は、福原氏一族の墓にもともとはあったようですが、大正10年にこの地に移されたということです。


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