Samurai World>サムライたちの墓>
奈良原助八満   鹿児島市

写真は、鹿児島市の大竜町にある奈良原助八満の墓です。
  奈良原助八満は、祖父の代に山城国加茂から薩摩に移住してきた人と伝えられています。
 奈良原助八満は、16歳の時から島津氏当主忠昌に小姓として仕えていました。ところが、島津忠昌が、清水城にて自刃して果てると、その後を追い殉死します。これが島津家最初の殉死者とされています。 時に25歳であっといいます。
 君主島津忠昌は幼少にて島津家を継いだものの、島津家内の反抗、大隅の肝付氏の反抗で、まったく先の見えない状態に置かれていた中での絶望的な憤死という形でした。
  奈良原助八満は、殉死する前に、矢を二本用意しており、一本は仇敵肝付氏を射るといって放ち、もう一本は冥土に持っていくためと言って射なかったと言います。
 
inserted by FC2 system