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大内義興   山口市


大内義興(1477-1528)は、周防長門から、後半生には安芸、石見の守護、さらには中央政権での管領代まで勤めた、大内氏の最盛期の基盤を作り出した武将です。
 墓は山口市の凌雲寺跡にあります。
 
大内義興の生涯は戦の連続といってもいい生涯でした。
  足利 義稙が細川政元に将軍職を追われて、山口に下向してきたのを迎えて、その義稙を奉じて京都に上がり、将軍に再びつけさせ、自身は管領代として京都に10年間も在京することになります。
  この10年間の国許での留守の間隙をついて、出雲の尼子経久が安芸国に進出、大内氏との本格的な対立時代に入ります。安芸国の盟主的な立場となった毛利元就を大内氏側につけて、何とか安芸国における大内氏の勢力基盤は保ちつつも、大内氏の権力基盤は確実に弱体化していきます。最晩年は尼子経久との戦いの中で、その生涯を終えて生きます。その尼子氏との戦いを引き継いだのが次の大内義隆でした。

 
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武将と古刹―凌雲寺跡
 
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