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島津久逸  鹿児島県日置市

 
 
写真は、伊作島津氏八代の島津久逸の墓です。伊作島津氏の居城亀丸城跡近くの伊作島津氏の菩提寺多宝寺跡にあります。
 島津久逸は、島津忠良の祖父にあたります。もともとは現在の宮崎県串間に本拠を構えて居ました。
 
 久逸の息子善久は、同じ島津氏の分流である新納是久の娘常盤と結婚します。
  久逸は、串間から薩摩の伊作へ領地換えされます。善久夫婦も父久逸にしたがって、日向の串間から薩摩の伊作へ移ります。
 常盤はこの地の亀丸城で菊三郎を生みます。これが後の島津忠良になります。
 ところが善久は、家臣との馬に関する口論から斬られ死亡します。常盤23歳のときです。常盤は女で一つで菊三郎を育てますが、如何せん限界があり、義父久逸と相談の上、城近くの海蔵印住職頼増に預けることにします。
 伊作島津氏にとって、常盤自身にとって、菊三郎だけが将来への希望だったのです。そんな中頼りにしていた久逸は加世田で討ち死にします。
常盤29歳の時です。それからが常盤の女の戦いが始まっていくのです。
  島津忠良の息子が貴久、孫が義久、義弘、歳久、家久にあたり、近世島津氏は、ここ伊作の地から勃興します。

関連情報
武将と古刹―多宝寺跡
サムライたちの墓―伊作島津氏の墓
古城紀行―亀丸城跡
 

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