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加治木島津氏  鹿児島県加治木町 

写真は加治木島津氏の歴代の墓です。
 加治木島津氏は、島津家久の第三子忠郎(ただあき)が、家久の父島津義弘の遺命により、義弘の隠居地の加治木に一万石で創立されます。島津氏の家中では、本家に次ぐ家格として位置づけられます。
 この加治木島津氏からは、本家を相続した重年、その子重豪がでます。特に島津氏第25代にあたる重豪は、娘を11代将軍家斉に嫁がせ、将軍の岳父として注目されます。島津氏歴代の中でも、この重豪の治世は江戸中期から後期にかけて長く、その後の島津氏の方向性を、さらには結果として日本の方向性までも決定づけることになります。その重豪は、この加治木島津氏の嫡男として1745年に誕生します。重豪の墓は、本家を継いだので、福昌寺の本家歴代墓所の中にあります。
  加治木には、島津義弘が晩年隠居した館跡が残されています。現在の加治木高校と蛇城小学校敷地一帯がその館跡になります。


関連情報
 島津氏については、薩摩紀行に詳しく取り上げてあります。  
  サムライたちの墓−島津忠明の墓
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