写真は 島津尚久の墓です。島津尚久は島津忠良の三男で幼少名又五郎と名乗っていました。
貴久、忠将とともに、島津氏の薩摩、大隅平定合戦に従軍しますが、32歳にて加世田にて病死。
母は『桑御前』という人手、忠良が桑摘み娘の姿に見とれて側室とした人であったと伝えられています。
息子の島津忠長は、義久、義弘そして家久の三代に家老職として仕え、関が原の戦いの後、徳川家康との交渉に当たります。
関連情報
島津氏については、薩摩紀行に詳しく取り上げてあります。
サムライたちの墓―島津忠将の墓
サムライたちの墓―島津忠長の墓
サムライたちの墓―宮之城島津家の墓
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