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島津義弘殉死者  鹿児島県加治木町 


鹿児島県加治木町木田の県道沿いに《実窓寺川原》と呼ばれている史跡があります。
 川原という地名から想像できるように、江戸時代、現在の網掛川の流れがこのあたりであったことを物語っています。この近辺に実窓寺という寺があったことから《実窓川原》と呼ばれていたようです。
 ところで、この史跡は何の史跡かといいますと、島津義弘に殉死していったサムライたち12名が切腹したところです。実はこの場所で切腹するはずだったサムライは13名だったのですが、一名は到着が遅れたため、別の場所で切腹して果てます。その別の一名のサムライについては、史跡物語第20回で紹介してありますので、そちらをぜひご覧ください。
 当時 島津氏の当主は義弘の三男家久が継いでいましたが、殉死を固く禁じていたので、切腹したサムライたちの家は取り潰されますが、13年後には彼らの忠節が認められ、家禄が回復され、義弘の位牌が安置されてある妙円寺に改めて墓が建立されます。


関連情報
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