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宍戸隆家 広島県安芸高田市(旧甲田町) |
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写真は宍戸隆家夫妻の墓です。 1518年生まれ、1592年没。 父は元家とされますが、若くして死亡したため、母方の実家山内氏で養育されていたとされます。 山内直道の娘が隆家の母に当たります。直道の息子豊道が早世したため、山内氏の分流である多賀山氏から養子を迎えて隆道が山内宗家を継ぐことになります。隆道が山内氏当主と認められたのは1536年。隆家が幼少の頃母の実家で養育されていたのは、この養子問題と関係あるのではないかと思います。 宍戸隆家は、毛利氏との婚姻関係によって、吉川元春、小早川隆景と並んで毛利氏において一門並みに扱われ、最盛期には15万石ほどの領地を有していたとされています。関ヶ原の敗戦によって、毛利輝元にしたがって長州へ移動しますが、長州では一万石余と毛利一門と同格の知行をあてがわれています。 写真の隆家とともに並んでいる墓は、隆家の継室のものです。石見繁継の姉とされています。隆家に嫁いできたとされている、毛利元就の長女、いわゆる《五龍の方》の墓は今ではその所在すらわかりません。 実は、五龍の姫は、実は隆家にではなく、元源に嫁いできたのではないかという伝聞があります。その五龍の墓とされているものは、実は元源の墓の隣にある墓であるとも。五龍の墓だけがどこを探しても見つからないのも話がつながるわけですが。 関連情報 サムライたちの墓−宍戸氏一族の墓をご覧ください。 毛利元就紀行−元就の家臣団−宍戸隆家 武将と古刹−理窓院 古城紀行−五龍城 古城紀行−祝屋城 |
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