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祝氏  広島県三次市


広島県三次市に高杉城という城跡があります。写真はその高杉城の城主であった祝氏の墓と考えられているものです。
 高杉城が毛利元就の攻撃の前に落ちるのは、1553年のことです。当時この城は反毛利氏に立っていた備後の江田氏の前線基地になっていました。毛利元就が備後攻略の突破口として標的にしたのが、この高杉城です。高杉城攻防戦については、古城紀行シリーズの高杉城をご覧ください。
 この城には、もう一つのエピソードがあります。それは、幕末の志士高杉晋作のルーツとされているところだからです。しかし高杉晋作の先祖高杉氏のルーツと思われるものには、旧吉田町にある高杉城も考えられます。
 この三次の高杉城が高杉晋作と関係を持って注目されたのは、司馬遼太郎氏が紹介したことに始まるようです。それで地元の新聞にも取り上げられたことがあります。その記事については、高杉城の近くにお住まいの武田氏にお見せ頂きました。実はこの武田氏は、元々高杉と名乗っていたのを武田氏と先祖が改名したということです。武田氏と言えば、安芸の守護武田氏と関係ありそうです。
 実は、高杉新作のルーツと考えられているものに、旧吉田町に残されている高杉城という小高い城跡があり、ここには、高杉晋作第13代目という碑が建立されています。実は、ここは現在は私有地になっていて、その持ち主の方に案内して写真を撮らせたいただきました。そして、昔から言い伝えられてきた、高杉晋作の先祖が長州へ旅たつ様子を語って頂きました。
 この旧吉田町にある高杉城の城主も、詳細はわかっておらず、私の調べた限りでは、武田氏の家臣の流れではないかと思われます。
 ということで、いずれの高杉氏も安芸の守護だった武田氏と関係がありそうです。幕末の志士高杉晋作の先祖は、武田氏の家臣で、その後毛利氏に属したのではないかと思われます。
 


 関連情報
古城紀行−高杉城(広島県三次市)

古城紀行−高杉山城(広島県吉田町)
 

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