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和智誠春殉死者  広島県吉舎町 

写真は広島県吉舎町の善逝寺の墓所の一角に散在している和智誠春に殉じていったサムライたちの墓です。
 南天山城主の和智誠春とその弟が厳島神社社殿にて毛利元就の意を汲んだ者たちによって殺害されたのは、1569年の1月。その主の悲報に接した南天山城の家臣たちは、憤りながら、主君誠春に殉じていったと伝えられています。和知氏の菩提寺善逝寺に残されている写真の墓は、無念のうちにあの世に旅立っていった無銘のサムライたちの墓です。
 この和知誠春の粛清事件は、いろいろ解釈されてきましたが、事の発端の隆元死亡の事件は1563年に起きていて、当事者の和智誠春粛清が1569年という元就死亡の2年前の出来事から邪推して、元就亡き後の毛利家安泰のための、不穏分子の粛清という意味合いが強いと私は見ています。


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