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坂本龍馬が歩いた道−小鹿野から犬飼滝  鹿児島県霧島市 

寺田屋事件によって負傷した坂本龍馬は、薩摩の西郷隆盛に庇護され、一時薩摩に隠棲します。

写真は、西郷隆盛の薦めで、寺田屋で負った傷の療養も兼ねて、妙見温泉に湯治に来たときの坂本龍馬のルートです。
 現在の国道223号線は当然なく、当時のルートは、鹿児島から船で錦江湾を縦断して浜の市に上陸。そこから日当山まで行き、そこで天降川を舟で渡り、現在の松永に上陸して、小鹿野から古道街道を通り、写真にあるような古道峠を超えて、犬飼滝にでるルートだったと推測されます。
 犬飼滝の上に出てくるこのルートは昭和初期までは地元の人々の生活道路だったと地元の古老は伝えています。

写真の子供たちの進む方向数百メートルのところには、和気神社があります。これは和気清麻呂が大隅に配流された場所と比定されているところです。
 とすると、和気清麻呂も豊前の宇佐からさらに大隅に下るルートも、古道の峠を通ったのではないかと推測されます。
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