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薩摩街道 去川関 宮崎県高岡町 |
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写真は薩摩三街道のひとつ(日向街道)の関所(去川関)の跡です。 薩摩と日向との国境を固める関所ですが、薩摩藩の関所の中ではもっとも厳重な関所として知られていたものです。 (薩摩飛脚は冥途への飛脚)などというような言葉は、この去川関から生まれた言葉です。 薩摩から日向送り罪になった場合、この去川関を通過して日向へ抜けていくわけですが、実際には 関所に近づくと高岡の郷士たちがやってきて、なぶり殺しにするのが慣例だったようです。つまり、 薩摩から日向へ抜ける手前で、別の形で処刑されるというのが、(日向送り)の意味だったようです。 |
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幕末、西郷隆盛が討幕運動を裏で支えていた月照を薩摩に匿うつもりが、本藩によって月照が日向送りに処されると、西郷隆盛が月照を抱えて錦江湾に身を投げたのも、去川関で殺されることがわかっていたからです。 この関所は高岡の郷士たちが交代で番所勤めをしていたのですが、二見氏が代々関所の総括責任者として高岡郷を束ねていたようです。 二見氏の館跡、歴代の墓所も関所の近くに現在でも残されています。 |
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