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入来  鹿児島県薩摩川内市


入来は、鎌倉時代の地頭職であった関東武士の渋谷氏の支配した荘園です。入来と言うより、『The Ducument of Iriki』と言ったほうが通りはよいほど、日本よりむしろ海外で有名なほどの場所です。
 この入来の地を世界の歴史学者に知らしめたのは、1929年、当時アメリカのエール大学教授であった朝河貫一博士です。爾来『The Documents of Iriki』で世界に知られるようになったわけです。
 九州の中世文書は多く保存され、その状態も他の地域に比べて優れているところから、日本史の研究者には九州の中世文書が研究対象として取り上げられやすいというような事情もあったようです。また、この薩摩の荘園は昔から大規模な荘園であるのが特徴で、日本でも早くから荘園として開発されてきた地域で、荘園研究には好材料の地域だったようです。日本史の資料集にもよく登場するのが、小早川氏の沼田の荘園、そしてここ入来院の荘園になりますので、日本史に関心のある方には因縁の深い土地柄と言うことになります。
 渋谷氏は、関東からこの地に下り、入来氏と名乗るようになりますが、戦国時代後期、島津氏の支配下に下り、薩摩国独特の制度下のもとで この地の地頭として明治維新を迎えることになります。
 中世の名残が残る町並みがよく保存され、平成15年12月25日、鹿児島県は、入来麓伝統的建造物群保存地区に指定し、後世にこの貴重な歴史景観を残すことが決まりました。
 『入来文書』については、現在東京大学史料編纂所からデジタル化されて公開されています。本州の武家屋敷とはいささか趣きを異にする雰囲気が漂い、南国薩摩の味という感じがします。石垣の積み方に特色が感じられます。






観光度 ★★★

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