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蒲生  鹿児島県蒲生町

蒲生は、蒲生氏によって基盤が形づくられ集落でした。蒲生氏のルーツは、大分県の宇佐八幡神社の神官です。もともとは大隈半島の垂水地区に勢力を有していたものを、薩摩半島の現在の蒲生町に移動してきた一族です。現在の蒲生町のシンボルとしての日本一の大クスは、蒲生氏が勧請した八幡神社境内にそびえています。蒲生町に八幡神社がある所以も、蒲生氏のルーツが物語っているわけです。
  島津氏が蒲生氏を下してからは、島津氏の支配するところとなり、麓として発展していきます。隣接する大規模な重富の麓と加治木の麓の中間地点に位置しています。錦江湾沿いに国道が開通したことにより、昔の街道から大きくずれたことにより、過疎化の波を受け、皮肉にも歴史の街並みがよく残されている結果となり、現在では釜生の麓城下の町並みなどを観光する人はほとんどいません。蒲生氏の居城だった大規模な山城、蒲生城の防壁をなす岩盤の絶壁に千にものぼる凡字が刻んであるのは、全国でもここだけではないかと思われるですが、残念ながら荒れ放題で近づけない状態となっています。時々観光客が足を運んでいるようですが、足を踏み入れることすらではない状態でがっかりして帰っている様子を見受けたことがあります。 町の目はもっぱら日本一の楠の木ばかりに向いているようです。
















観光度 ★★

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