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飫肥の街並み  宮崎県日南市


飫肥の町は伊東氏の飫肥藩の城下町として江戸時代を通じて栄えてきた町です。
隣の薩摩藩島津氏とは仇敵の仲にあたります。
 南の薩摩の島津氏、山ひとつ隔てた都城の島津氏、宮崎市佐土原の島津氏と、飫肥藩は周囲を戦国時代の仇敵島津氏に囲まれています。飫肥といえば、飫肥杉。肥沃な田園がなかった飫肥藩としては、厳しい財政の柱にしようと江戸時代に藩の政策として開発されてきたものです。現在でも都城から飫肥に向かう山々には見事な飫肥杉の植林が見えます。また日南にある油津は天然の良港として昔から交易基地として栄えてきたところです。この港も島津氏との間に行われた戦の権益でもありました。
 今まで都市化することなく 、ある意味で見捨てられた地域であったからこそ、江戸時代の姿を私たちは味わうことができます。宮崎へ観光にこられた折には、すばらしい日南海岸を眺めながら、飫肥まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。ひと時の歴史散策ができます。
 伊東氏の歴史については。近世城郭紀行―飫肥城を参照してください。




写真は小村寿太郎誕生の家です。飫肥が生み出した人物として持つとも世界的に知られている人物といえば、明治の外交官小村寿太郎です。


写真は藩校《振徳堂》の建物です。江戸時代中期を過ぎると日本各地、各藩が藩校を創設していきますが、ここ飫肥藩でも藩校が創設されます。学問好きな31代藩主伊東佑相によって《振徳堂》が創設され、安井息軒などが教授として招聘され、幕末の有志たちを育てて生きます。







観光度 ★★★★
城下町と飫肥城が小ぢんまりとまとまった雰囲気の町です。町屋もよく残されていて、散策して見たい町並みですレンタルサイクルも用意されています。
【交通】とにかく飫肥までのアクセスが不便です。都城方面からは222号線しかありません。山越えです。宮崎から日南へ下る海岸線は絶景です。この海岸線をぜひドライブしてみましょう。
都城からと日南からの車の中から見える風景はこちらです。





関連情報
近世城郭紀行 ―飫肥城
サムライたちの墓―伊東氏の墓
教養の系譜―飫肥の儒学者安井息軒

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