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高岡  宮崎市高岡


高岡の町は、現在宮崎市と合併して新宮崎市になっています。
しかしこの高岡は江戸時代までは薩摩藩領でした。
宮崎県の南三分の一くらいは、かつての薩摩藩領で、文化的には宮崎県というより鹿児島県寄りです。
 この高岡には、薩摩藩の中では出水、大口と並ぶ大規模な麓が形成されていました。
薩摩から他国へ抜ける街道は3つ。一つは出水筋、二つめが大口筋、そしてこの高岡筋です。
 高岡筋は、現在の国道10号線とほぼ同じルートを通っていました。
高岡郷の異質な点は、関所の外側にあったという点です。つまり去川関所に至る前後に 高岡郷が位置しています。
外部から薩摩に入り込むには、まず高岡郷を通過しなければならない。薩摩から他国に出るには、去川の関所を通過して高岡郷を通過します。高岡郷は いわば、最後の砦なのです。麓そのものが外的に対する防波堤で、外部から敵が攻撃してきた場合高岡郷が応戦、その間に関所を各郷からの応援によって防備を固めるわけです。
したがって、高岡郷には、藩内から優秀な武士が集められ、石高も200石、300石とほかの麓の武士に比較して高い俸禄になっていたようです。
出水とならぶ屈強な薩摩武士たちが住んでいた麓、それが高岡郷です。
 現在は、写真のようにほとんど昔の面影を残す建物はなく、町割りにわずかにその名残が感じられるだけです。
 麓の背後の山には天が城跡があり、現在資料館が建てられ、宮崎平野を一望できます。


観光度★

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