毛利元就が誕生した頃の、周辺の勢力図。 西からは、大内義興が安芸内部に着実に勢力を伸ばしてくる。 北部からの脅威は、当時破竹の勢いで安芸国に進出してきた石見の高橋氏。 また、尼子経久率いる尼子氏も勢いをつけていた。 毛利元就の父、毛利弘元の時代、中央での権力争いは、地方の豪族をも巻き込んでいた。毛利弘元は、細川政元と大内義興の両陣営から猛烈に誘われていた中、弱小領主としては、コウモリのように、どっちつかずの態度を取りながら、毛利家の存続を計らなければならない状況の中にいた。 広元は、揺れ続ける毛利家の当主の座を嫡男興元に譲り、30代の若さで、元就を連れて猿掛城に隠居せざるを得なかった。 |