志道広良

志道氏は、毛利弘元の時代に執権をつとめた坂広秋の四男元良が安芸国高田郡志道村(広島市安佐北区白木町)に居住して志道を称したのに始まる。元良の嫡男に生まれた広良は、毛利興元・幸松丸と元就前半期の執権をつとめ、政務の中枢にいた。  
 興元の執権をつとめていた1513年には、多治比の猿掛城にいた元就(17歳)から興元への奉公・忠節を誓わせる起請文をとりつけ、元就が若気のいたりで無理難題を申懸けた時は、広良から意見してほしい旨を申し出させている。  
  1523年、幸松丸が死去すると、元就に宗家相続を要請し、15人の宿老とともに元就に忠誠を誓約し、家督祖続の中心的役割を果たした。1557年、91歳で没。

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毛利氏の家系
元就の謎−幸松丸・死のなぞ

 

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