Samurai World>毛利元就紀行>武田元繁










有田中井手合戦は、有田城攻防を中心に展開された、旧安芸守護職の武田氏と大内氏を背後にいだく毛利軍と吉川軍の戦いである。武田氏の勢力を盛り返そうとした武田氏の最後の侵攻と言えた。
元繁は、敵陣めがけて突進してくる元就を見て、駆け出した。勢いに乗って駆けて来る元繁を元就の伏兵が一斉に矢を放った。矢は元繁の胸から背中に貫通し、馬から落ちた。元繁最後の瞬間であった。
写真左は、元繁が討ち取られたと言われる場所に立つ戦死の碑。背後が有田城跡の山。
武田元繁が戦死した翌日、残された武将たちは対策を協議した。武田氏の老臣、品川信定らは、嫡子光和を擁して後日再起を計る思案であったが、甲斐城主の甲斐備後守宗端らは反対を押し切って、敵陣に突撃し、戦死した。
写真右は、中井手合戦場跡にたたずむ甲斐宗端の供養塔。
有田城救援のため来援した毛利元就の軍を迎え撃つため、中井手に柵を作らせ、防御していたが、ここを守っていた高松城主の熊谷元直は、吉川軍の武将に討ち取られる。
熊谷元直の嫡子直信のとき、熊谷氏は武田氏より離れ毛利氏につき、娘を元就の次男元春の妻とし毛利一門になる。
写真左は、中井出合戦場近くにたたずむ熊谷元直の墓。墓碑をクリックすると墓碑が読めます。
熊谷元直戦死の報を聞いた熊谷元直の妻は、家臣の誰一人として主君の遺骸を持ちかえらないのを情けなく思い、その晩闇にまぎれ、敵陣の中に有る夫の遺体を探しに行ったという。しかし遺体を女手一つで持ちかえることは至難で、形見にと思い、腕を折り持ちかえり 、その腕を館の井戸できれいに洗ったと伝えられている。
写真右は、その言い伝えのある井戸。
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