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第2回  鉄砲伝来の謎―紀州根来と種子島との接点


 鉄砲伝来の出来事について 数回にわたって掲載しているわけですが、今まで種子島時尭が紀州根来寺の津田監持とかいう人物(僧兵)にポルトガル人から買い上げた鉄砲二丁のうち一丁を与えたことは、このシリーズ第一弾『鉄砲伝来は偶然の歴史的事件でなかった。』で書きましたが、その津田某という人物と種子島時尭との関係が今ひとつはっきりしなかったわけです。
 各種の鉄砲についての書物を読んでみても、紀州根来と種子島氏との関係がいまひとつはっきりしない。当時の海上交通のネットワークから、黒潮の流れに沿ったネットワークによる接点が濃密だったのだろうと、というような推測をしていたわけです。 たしかにその線による繋がりもまったくなかったとは言い切れません。しかし何かまだはっきりと両者の関係が浮かび上がってこない。そんな思いをしていたところ、全く思いがけないところから両者の関係が見えてくることになりました。
 
 鹿児島県の郷土史研究家である有川晴海氏の『異説三州の歴史』(高城書房)によれば、鉄砲の情報は まず種子島氏から薩摩島津氏に伝えられ、それから紀州根来へと伝えられたのだということです。
 それでは、まず薩摩島津氏と紀州根来の関係ですが、これは中世の荘園の時代にまで話が遡ります。
 薩摩一帯の荘園の領主は摂関家筆頭の近衛家でした。しかし近衛家は承久の乱を契機に、実質的なこの地の荘園経営権を興福寺に寄進し、以後は興福寺が管理するようになります。
 興福寺は近衛家の祈祷寺で、興福寺の筆頭院が一乗院で、興福寺の別当と一乗院の座主は代々近衛家の子孫が兼ねていたという事です。
 薩摩の荘園の現地経営するために、一乗院は現地薩摩に海蔵院という寺を建立します。海蔵院の代々の僧も一乗院の人事権の範囲内で行われるわけです。僧といっても 当時の僧とは、知識人 坊主 兵士というさまざまな顔を持っているわけです。そのことは忘れないようにしないと当時の状況が中々イメージしにくいと思います。

 ところで、皆さんは島津氏は鎌倉の守護以来の700年間の家系を持つ名門であることは ご存知だろうと思いますが、実は近世の島津氏は本流ではなく、伊作島津氏といって、現在の鹿児島県吹上町あたりの小さな領主だった支流でした。その支流の伊作島津氏が本流になるのは、島津貴久からです。貴久の息子たちが 島津義久 島津義弘という武将です。貴久の父が島津忠良と言います。その忠良、幼くして実の父親 さらには父親代わりをしていた祖父に幼年時代に死に分かれます。彼は父が死んだ時点で、祖父から海蔵院に預けられ、少年時代 青年時代を海蔵院で過ごします。彼の教育を託されたのは、海蔵院の頼僧という僧です。当然 頼僧は本社の一乗院から派遣されてきた人物と思われます。近世島津氏は、この忠良から始まるわけです。
 ところで一方 紀州根来寺も興福寺の末寺にあたります。ですから海蔵院の僧と紀州根来寺の僧たちとは、おなじ親会社の人事権の掌握内にあると言えます。
 これで、薩摩島津氏と紀州根来寺との深い関係が見えてきたと思います。

 一方の種子島氏との関係ですが、当時の種子島の領主は種子島時尭です。その種子島時尭の妻が忠良の三女にあたります。ですから、島津本家を忠良の息子貴久が継ぐわけですが、その貴久と時尭とは義兄弟の関係になります。
 ところで種子島時尭とその父恵時とは折り合いが悪く、恵時は息子に領地を継がせたくなく、島津氏に領地を差し出し、その配下になろうとします。その事件を貴久がとりなし、種子島氏親子を和解させます。ですから当時の時尭と義兄弟の貴久の間には 一方的に忠節を尽くさなければならないような人間関係ができていて当然です。
 そのような時に ポルトガル人による鉄砲伝来が起こります。種子島時尭が まず誰にその一報を届けたのか 明白だと有川氏は推測されています。
 島津忠良 貴久のもとには、紀州根来寺から派遣されていた僧兵たちもいたと思われます。海蔵院も紀州根来寺も親会社は同じ興福寺一乗院ですから。かれらのビジネスは、戦術 戦略のノウハウを売ることです。長い荘園経営を通して過酷な時代を生き残ってきたノウハウを持っているわけです。小さな領主伊作島津氏も大きくなるためには、合戦に勝たなければならない。
 鉄砲伝来の一報は すぎさま島津氏に届けられ、そこから紀州根来へと伝えられます。そして本社から重役クラスの人物が薩摩に派遣されてくる。その人物こそ、津田某であると有川氏は喝破しています。ところでこの津田某という人物は、数万といわれていた紀州根来の僧兵を抱えていた数ある宿坊のなかでも、中心的な四つの宿坊の中の一つ、杉の坊の頭目だった津田杉の坊妙算の実弟だということです。

 

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