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第5回  今も昔も変わらぬリストラの恐怖


 フリーター417万人の時代と言われ、2050年には日本企業の正社員と非正社員との比率が50パーセントずつと予測されているようですが、ついこの間までは、終身雇用制の国として世界中から注目されていたのが夢のようです。
 
サラリーマンはつらいよがいよいよ身につまされる時代に突入しそうですが、江戸時代の武士だって、リストラの恐怖にはいつも怯えていたようです。

 身分が固定化され、上下関係が厳格だった江戸時代では、社長である殿様の機嫌を損ねるようなことがあれば、簡単にリストラ、いや最悪の場合、切腹という命を代償にしなければならない状況に直面していたようです。

 ところで、江戸時代の武士が直面するリストラにはどういうものがあったのでしょうか。

  一番重いのが『切腹』。切腹することによって、罪が許されれば家は存続を許され、子孫はその後も会社に残れることになります。自分だけの命を犠牲にして、家と家族とを防衛する捨て身の策です。考えようによっては、家族が生き残れるという意味では、まんざら重い罰でもなかったとも解釈できます。というのも、武士にとって『恥』や『対面』の方が命より重要だったので、生き恥かかされるよりは、心理的によかつたのかもしれません。現代の私たちの価値観からは判断しがたいものです。

 次に、切腹というほど重いものではないものが、『召放(めしはなち)』というものです。現代で言えば解雇というやつです。これを通告されますと、藩から支給されている給料が取り上げられ、社宅である家もなくなります。しかしこれにもレベルがあり、浪人になっても、剣術や学問があれば、他藩で就職口を見つけることも可能ですが、しかし藩から『構』という宣告を受けると、これは他藩での就職活動を禁止されます。つまり、この時点で、武士として生きていくことを死刑宣告されるわけです。素浪人になるか、思い切って町人になるしか生きていく手段は残されていません。 代表的な例としては、黒田長政に解雇された後藤又兵衛なとが典型的な例といえます。武士として評判の高かった後藤又兵衛は、ひょんなことから主の長政と喧嘩して黒田藩を去りますが、又兵衛の評判を知っている他藩から誘いを受けますが、長政は食指を伸ばしていた浅野氏などに、もし又兵衛を雇うようなことがあれば、黒田藩として黙認しないような恫喝をします。こうして、武士として就職口を閉ざされた後藤又兵衛は、素浪人となり、大阪の陣で華々しく散っていくことになります。

 
『召放』になると、家と収入が無くなるわけですので、親戚の家に厄介になりながら、再就職活動をすることになりますが、見つからなければ、肩身の狭い思いで、居候暮らしを続けるという、武士にとってはとてもつらい精神的ダメージをうけていくことになります。

  再就職活動の際に決め手となるものが、剣術の腕前と学問、知識の二点くらいです。今も昔も一芸に秀でていなれば、やはり就職活動は難しいようです。

  さらに軽い刑罰としては、『閉門』というのがあります。藩の役人が当人の家の門を開けられなく閉めるというものです。そうすると、世間体や面子を重んじる武士にとっては、生き恥をさらすことになりますので、かなりこたえる罰です。その次が『蟄居』ですが、『閉門』も『蟄居』も社長の機嫌次第で明確な期間はなかったようです。また、それぞれの罰には、給料の減額も含まれたりする場合もあって、現代のサラリーマンの世界に似ています。
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