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第14回  刀は武士の魂 ではなかった




 『刀は武士の魂』である、などのような台詞が時代劇のテレビドラマの中で時々耳にしたり、状況を垣間見たりすることがあるが、どうも真実のようではないようである。
 本日は、近藤好和氏の『弓矢と刀剣』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)からこのことを紹介しよう。

 まず帯刀ということについては、先に『農民たちも武装していた』の中で触れたが、氏も繰り返し、帯刀つまり刀を身につけることは、戦国時代までは農民階層までがしていたことを指摘している。
 この大小二本の刀を腰につけることを武士身分だけに限定したのが、豊臣秀吉の刀狩であると指摘。そしてこの秀吉の刀狩に対する私たちの常識こそ、実は間違っていると指摘。<br>
 つまり、秀吉の刀狩は、農民階層の武装解除と歴史の時間に教えられているようだが、実は、この法令の目的は百姓の武装解除ではなく、あらゆる階層に普及していた帯刀という慣習を武士身分だけに許可し、武士身分の標識とすることにあったと、藤木久志の著書を挙げながら指摘している。さらに、帯刀が実質的に武士身分のシンボルとして慣習化してくるのは、江戸時代も半ばの17世紀後半以降という。

しかも『農民たちも武装していた』の中で触れたように、帯刀とは、大小2本の刀を差すことを言っているのであって、一本の刀を身につけることは、江戸時代を通してもやかましく言われることはなかったのだ。
 これでは、私たちが中学の歴史の時間に習った秀吉の刀狩の意味など、まったく見当違いではないか。
 つまり、よく耳にする『刀は武士の魂』というような錯覚は、江戸時代半ばすぎになって、ようやく武士のシンボルとなったということである。さらに、幕末の動乱に至って、刀の実践的意味が再び脚光を浴び,武器の中心は刀という思いこみが強くなり、また明治政府による軍、官、警による『帯刀権』の独占を目的とした明治9年の『廃刀令』、さらに戦前の軍人の帯刀によって、日本人の間にいつしか『刀は武士の魂』というような錯覚が形成されるに至ったと指摘。
 さらに、錯覚が生まれた原因の二点目として、刀は主に鉄製であるため、現在に至るまで膨大な刀が遺品として残されているのに対して、弓などはほとんどが消耗品として扱われたし、また木製や竹製であるため、遺品として残ることが少ない。

したがって、自然として現在の私たちの目に触れる機会が多くなるのが、刀剣であって、弓などは余りお目にかかることはないから、刀剣こそ武士たちの中心的武器であったと錯覚するに至っていると指摘している。
 確かに源義経のが壇ノ浦で使った弓矢など拝見したいものだが、残念ながら残っていないし、ほとんどの名のある武将たちが使用した弓矢などにお目にかかることはない。
 さらに、錯覚が生まれた原因の3点目は、刀剣が室町時代以降、贈答品または装飾品としても扱われるようになり、刀のブランド志向が生まれてくる。
 特に私たち日本人に馴染み深い『名刀正宗』が現在の女性の間で言えば『ルイヴィトン』や『エルメス』のようなものになっているが、『正宗』を好んだのは、織田信長や豊臣秀吉ぐらいであるが、有名人が所有していることから、自分も持ちたいと欲求してくるのが人間の欲で、それ以来日本では『正宗』があたかも第一の名刀であるかのように言われ出すのである。
 つまり鑑賞用としてのブランド品になったがゆえに、刀こそ武士の魂というような錯覚が形成される原因ともなっていると指摘している。

それでは、武士の魂と呼ぶにふさわしい武器は何だったろうか。それは『弓矢』である。<br>
 武士と一口に言っても、江戸時代以降の武士は本来の意味では武士ではなく、官僚化した身分であったことを考えれば、豊臣秀吉の天下統一までが武士の時代と言えよう。大久保彦左衛門などはそういう武士の最後の世代で、長く生き延びた武士の哀れさが漂っている。<br>
 豊臣秀吉の時代まで、よく聞かれる言葉が『弓矢』である。近藤氏も著書の中で秀吉の言葉として、日本のことを『弓矢きびしき国』といっていることを挙げているが、これなど『弓矢』という言葉を、戦いそしてそれを担う武士の象徴的意味合いで使用していることがわかる。

 また毛利元就の言葉にも『弓矢の習い』という言葉が出てくるが、これなど当時の武士たちの間の常識を示している言葉であり、『弓矢』こそ、戦いとそれに関わる武士たちの象徴的世界を表現している。『弓矢』こそ、武士のことであり、武士の標識であったと言ってもいいと思う。


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