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第17回 源頼朝は頼朝ではなかった
足利尊氏は尊氏ではなかった

2001年スタートのNHK大河ドラマ『北条時宗』の第一回放映で、毛利元就の始祖毛利季光が登場するというので、楽しく拝見させてもらった。
  ほとんどの方には、毛利季光が毛利元就の始祖であることなど、どうでもよいことでもあるかもしれないが、毛利元就に興味を持っている私としては、気になる。恐らく毛利季光がテレビドラマなどで登場してくることなど滅多にないことだろうという思いも手伝って、楽しく拝見した。

  今回は、その毛利季光のことではなくて、毛利季光と三浦一族が最後の場面で、源頼朝の肖像画が奉納してあったと言われている法華堂にて壮絶な最後を遂げたシーンで、一つだけ気になったことが有ったので、このコーナーで取り上げることにする。

  余談であるが、法華堂での三浦一族ならびに毛利季光父子の最後の様子は、法華堂の天井で一部始終を見ていた寺の者にて後に語られた史実によっているわけだ。それによれば、毛利季光が読経しながら果てていったという。

  ところで本題であるが、2000年1月7日に放映された『北条時宗』第一回の法華堂で の自害シーンであるが、そこに映し出された頼朝の肖像画である。
  法華堂は源頼朝の肖像画が奉納してあるところで、鎌倉御家人たちにとっては、いわば聖地になる。頼朝は鎌倉御家人たちにとっての精神的なシンボルだからである。
  その法華堂に奉納してあったと言われている『源頼朝』の肖像画は、その時の事件によって永遠に失われたわけである。そして今日、わたしたち日本人のほとんどが『源頼朝』だと信じている例の頼朝の肖像画が、あのシーンでもしっかり登場してきていた。
  例の頼朝の肖像画というのは、ある年齢以上の日本人には、日本史の教科書の中でもっとも有名な武将の肖像画として疑う余地もないほど、自明なものとして脳裏に刻印されているわけだ。
  ところが、最近の研究で、この頼朝の肖像画の人物が、実は頼朝ではないことが明らかにされてきている。それでは、頼朝だと私たちが教えられてきた頼朝像とは、いったい誰なのか。答えは、足利尊氏の弟の足利直義 だ。
 
他にも、ある。これも頼朝と同じくらい有名な武将で足利幕府を開いた足利尊氏だと私たちが教えられてきた足利尊氏の例の騎馬武者像も実は尊氏ではないと言う。それでは、いったい誰か。それは、足利家の執事職であった高師直の息子の高師詮である可能性が高いと言う。<br>
  いったいぜんたいどうなっているのか。歴史で習ってきた人物のイメージは嘘だらけなのか。

  この事実、実は2000年2月6日付けの朝日新聞の『名画日本史』のコーナーで取り上げられたので、ご存じの方もあると思う。
 記事の詳細を読んでみたい方は、朝日新聞を読んでみられたら良いかと思う。どうして、間違った肖像画を私たちが教えられるようになったのか、そのあたりの経緯も書いてある。この頼朝像の疑問を取り上げた人物として、米倉迪夫氏が記事で取り上げられていて、氏の著書『源頼朝像−沈黙の肖像画』(平凡社)が取り上げてある。興味のある方は読んでみられたらいかがであろうか。

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