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第18回  武田信玄や上杉謙信も人身売買をしていた

 今回は、戦国時代、戦国大名たちによって人の略奪と売り買いがごく自然に行われていた事実を、藤木久志氏の著書『戦国の村を行く』から紹介することにします。

  この著書は、これまでのように支配者側からみた華々しい戦国時代の側面ではなく、村人など、支配されていた側の視点から戦国時代を見つめなおしたもので、生々しい戦国時代の歴史が浮かび上がってきます。
  戦国時代の動乱の中で、人の略奪は、村人や公家なども日常的に行っていたようです。荘園領主としての中央貴族が、村人が年貢を納めないというので、責任者数人を略奪させて、自分の奴隷として使用していた事実。
 また、支配される側にあった(と私たちは勝手に思いこんでいますが)村人でさえ、守護領からやったきて村人を捕らえて行った ことに対して、同じ行為を仕返しとしてやる。 つまり守護職という幕府公認の警察権力に対して、村人が公然と報復するわけです。守護領である隣村の村人を仕返しに捕らえる。そういうことが日常的に行われていたというのです。
  さらには、そういう人の略奪を金銭目当てにやるものもいる。

  戦国時代、封建領主とその地域に住んでいる人々とは、年貢負担、戦役負担などを媒介にして持ちつ持たれつの関係にあります。戦国大名が一方的に百姓を支配していたわけではありません。封建領主と百姓はギブアンドテイクの関係にある。ですからいざ戦場となれば、近くの山城へ領民一斉に避難する。城主と山城に籠った領民とはほとんど一体なのです。
ですから、領主が敵方の手に落ちれば、そこにいる領民も敵方の手に落ちたということを意味します。落ちた領民や領民の財産は、敵の兵士たちの略奪の対象になります。しかしここまでは、戦場という非日常的世界のことだからということで、しかも一般兵卒の話とすれば、納得しがたいこともないわけです。
  しかし話が武田信玄や上杉謙信という教養のある戦国大名となると、多分ほとんどのひとが驚かれると思います。

  藤木氏は、これについて武田信玄と上杉謙信の例をひいて紹介しています。
  相模の国での戦で武田軍によって村人が生け捕りにされ、みな甲州へ連れていかれます。そして親類のある者は、2〜10貫文ほどの身代金で買い戻されたと言います。

  また上杉謙信の例では、上杉謙信が小田城(つくば市)を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行ったというものです。奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭ほどということです。この人身売買は、戦場に出入りしていた奴隷商人たちに売られていったことは明らかです。

  上杉謙信と言えば、みずからを毘沙門天の化身と信じ、信仰心厚く、生涯妻帯せずに生きた戦国武将で、清廉潔白のイメージを私たちが持っている武将です。その上杉謙信でさえ、ごく自然に人身売買を行っていたわけです。

  藤木氏の調査によれば、こういう事情は特に武田信玄と上杉謙信に見られることではなく、ほぼ全国の戦場で行われていたと言います。

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