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第25回  昔から日本人は肉を食べていた


 日本人と牛肉との出会いと言えば、よく明治時代のスキヤキ(牛鍋)の話が取り上げらますが、私たち日本人が、牛肉を食べ出したのは、本当にスキヤキからでしょうか。
どうも昔から牛肉を食べていたと思えるようなフシがあるのです。
それは、鎧の制作に牛の皮が使われていることです。

 鎧は、札と呼ばれている主要部分から作られています。この札を約2000枚ほども使用して鎧は出来上がります。この革札を少しずつ横にずらして緒で綴じ、それをさらに上下につなげていきます。これを威しと言いますので、この綴じる緒の材料や染色模様などによって、鎧がそれぞれ赤糸威とか色々威とか呼ばれているわけです。

日本古代、古墳時代の頃は、この札は鉄であったようですが、朝廷によるエミシ征伐のころから、革製に変わったと言われています。製造過程での時間短縮、重量の低減などが要因のようです。
ところで、この鎧の札は、牛や犬の皮をなめしたものを使用したようです。ということは、牛や犬は、革を剥がれたということです。では、その革を剥がれた牛や犬はどうしたのでしょうか。ここが今回の問題点です。
 平安時代から関ヶ原の戦いまで、多くの鎧が生産されていたはずです。鎧の生産地は、主に京都、もしくは、近畿あたりということです。生産工程に時間がかかり、熟練を要したため、鎧生産に携わる技能集団がこのあたりにいたということでしょう。
皮を剥がれた牛や犬をそのまま埋葬したとはどうしても考えられません。最終的には人間の胃袋の中に納まったと考えるほうが自然です。

 もう一点は、馬の問題です。武将にとって馬は武士であることのシンボルの意味でもあっわけですが、源平合戦のころから、相手の攻撃力を削減するために、武士そのものの他にも、馬を狙うようになります。馬のほうが大きいので、当たりやすい。動いている馬上から人間を射るというのは、なかなかの熟練技術が必要なのです。
ですから、合戦のあるたびに馬が駄目になります。使えなくなった馬は、どうしたのでしょうか。これも疑問です。

古代日本では、シカの肉を食べていたり、長屋王がチーズや牛乳などを食していたことなどから、古来より日本人は、身の回りにいる動物を労働力としてだけでなく、食欲の対象としても抵抗なく見ていたと考えられます。
ですから、牛や犬、鹿などを食する風習は、かなり長い間日本にはあったのではないでしょうか。犬を食する風習はいまでも大陸には残っていますが、日本でも戦後しばらくは地方には残っていました。

 そもそも日本人が急に牛肉や馬刺しなどをうまいうまいと食するようになるのは、そういう食の伝統が底流のほうで温存されていたからだと考えるのが自然です。どうしても受け入れがたい風習など、広まるわけがありません。もともと食べていたものを江戸時代におおっぴらに食えなくなった、それが明治になっておおっぴらに食えるようになった、それが本当のところではないでしょうか。現代の日本人の牛肉好きは長い伝統の裏づけがあったと思わざるをえません。
 
※鷹狩のえさとして、犬の肉が使われていたらしく、武士たちの間には犬を食する風習があったとも言われています。
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