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第33回  大隅の秦氏の本拠跡はここだった??



 鹿児島県霧島市牧園町に《稲積翁住居跡》の碑というものが田んぼの片隅に残されています。<br>
 よっぽと注意しないと通り過ぎてしまいそうな史跡です。
 この史跡に注目したのは、その名前です。《稲積》とは、元来は稲を積み上げた砦のようなものを意味しますが、同時に、豊前の辛島氏の本拠地の地名でもあります。

この史跡は、和気清麻呂が配流された場所から数キロほど離れた場所にありますので、大隈に移住してきた秦氏系統辛島氏の本拠がこのありだとすれば、和気清麻呂が流された場所もこのあたりであったことと符合するわけです。というものも、和気清麻呂は当時秦氏と協力関係にあり、道鏡事件に関わり、一族が各地に配流される際、和気氏を影で支えたのが秦氏です。和気清麻呂が豊前の宇佐に行き、さらに大隈のこの地に配流されたバック背景は、ひとえに秦氏との繋がりにあるとしか考えられないのです。

 《稲積翁居住跡》の史跡案内板には、和気清麻呂公と協力して『カッパ祭りの悪い習慣を禁絶し、水利を興しかんがいを便にし住民に尊敬された云々』と説明してあります。殖産に長けた秦氏ならではの貢献でしょうが、気になるのは、『カッパ祭りの悪い習慣云々』という箇所です。こっちのほうが気になりだしました。
 稲積翁とは、辛島氏の長者あたりを意味しているのでしょうから、この地に配流された和気清麻呂と協力しながら、この地の開発をしたことが伺えます。


 
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