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第30回  鹿児島に寺院がほとんどないわけ


写真上は加治木町安国寺に残されている上部が壊された仁王像

 日本に仏教が伝承されたとされる6世紀中頃(諸説あり)から1000年以上にわたって、私たち日本人は 仏教を篤く信仰し、寺院は手厚く保護されてきました。ですから、日本各地に古刹と呼ばれる寺院が残され、
私たちは日常空間とは異なる空間を散策できる楽しさがあります。
 しかし、ここ薩摩の地、鹿児島県には数千年の時間を超えた静寂なる空間を味わえる寺院が皆無といってよいほどありません。
和辻哲郎の《古寺巡礼》の世界など体験できないわけです。
これは、ひとえに《廃仏毀釈》という歴史的事件のためです。
 廃仏毀釈は、明治新政府が実行した、ある意味では文化的破壊活動に等しいものですが、その実施が特に激しく吹き荒れたところは、旧薩摩藩、そして津和野藩、島根県の隠岐地方だったようです。しかし津和野藩領地には永明寺という古刹が残されています。(寺院と神社を参照)
 その中でも特に薩摩藩での廃仏毀釈はすさまじく、庶民の寺院ばかりでなく、島津氏の菩提寺までもことごとく破壊されます。
今日、寺院跡であることを偲ばせるものは、上半身が壊された仁王象くらいかもしれません。
現在、鹿児島のあちこちを訪れても、広大な敷地を持つ寺院にお目にかかれないのは、寺院がほぼ完全に破壊されてしまったからです。
たまにお目にかかれる寺院といっても、明治以降に再建されたものです。コンクリート作りの寺院が目に付くはずです。
 では、なぜこれほどまで徹底的に寺院が破壊されたのか、それがなぜ旧薩摩藩で際だっていたのか、それは薩摩藩の持っていた特殊な事情があります。
薩摩藩の抱えていた特殊な事情については別の機会で触れていきたいと思います。
 旧薩摩藩の領土は、日本の中でもはやり独特の風土をもっていたところです。それは現在でも完全に払拭されているとは言い難いように感じます。



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