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第39回  渡来人が日本を作った?

 飛鳥や奈良の都には渡来人がきていて、政治、文化などさまざまな面で日本に影響を与えていたことは日本史の教科書レベルの知識でも理解できます。
 では、一体全体どのくらいの渡来人たちが当時の日本に住んでいたのか、あまり具体的なイメージはわかないと思います。そこで、本日は具体的な数字を挙げてみたいと思います。
 その前に 《渡来人》とか《帰化人》いう言葉使いに対する曖昧な使い方に対する批判もありますが、ここでは、日本以外のところから渡来してそのまま日本に土着していった人々くらいに考えておきたいと思います。ですから、その子孫は当然現在の日本人ということになるかと思います。  今回の具体的な数字は、井上満郎氏の《古代の日本と渡来人》から拝借させていただきました。氏は当時の《外国人》の全人口に対する割合を《新撰姓氏録》をベースに約30パーセントとしておられます。氏族の数をベースにしていますが、人口数の割合はほぼ同じくらいと推定。さらに全人口といっても、この数は今日の京・畿内であることはお忘れなく。
 また自然人類学的なシミュレーション結果として、埴原和郎氏や小林修三氏の算定を引き合いに出して、在来の縄文人の子孫たちの人口が約56万人。それに対して弥生時代以降に渡来してきた人々は、約483万人。
 それに対して井上氏は、8世紀末の日本の人口を約600万人、そのうち30パーセント、約200万人を渡来人とその子孫と推定されています。 以上挙げた数字を考えただけでも、当時相当数の《外国人》がいたわけで、これは現在の私たちの感覚とは随分違うと思います。しかもその30パーセントが、畿内を中心に分布していたと思われますので、日本が出来上がっていく上で、彼らの果たした役割というものは、貢献というようなレベルではなく、むしろ彼らを中心にして作り上げられたと言えるかも知れません。
 このような具体的な数字を使って日本の古代を見てみると、今までとは違った歴史が見えてきます。


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