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久光、大久保を見限った勤皇の志士有馬新七
 
 有馬新七というサムライは、世に言う《寺田屋事件》で歴史にその名を残すことになった薩摩のサムライです。NHK大河ドラマ《篤姫》の中では、単なる勤皇の実直な過激派のような印象をうけますが、どうしてどうして西郷や大久保などより本格的な国学の教育を受けており、自身でも多くの著作を著すほどの教養あるサムライだったのです。1825年鹿児島市の隣町である伊集院の武士の子として誕生。1827年父が鹿児島の城下士有馬家を相続したことで、鹿児島加治屋町に移住。幼少の頃より相当の腕白であったとか。

 有馬新七の名を不朽のものにした事件《寺田屋事件》とは、そもそもいかなる事件だったのでしょうか。

 朝廷から勅旨をいただき、それをもって江戸の徳川幕府に幕政改革を進言するために、1862年3月に島津久光率いる薩摩軍が京都へ上洛します。その際、有馬新七以下《精忠組》の中でも、特に勤皇思想の強かった一派が、九条関白、時の京都所司代酒井忠義を襲撃のため、薩摩藩の船宿であつた寺田屋にメンバーが集合します。その情報を掴んだ島津久光は、奈良原繁以下剣術の優れたメンバーを説得工作に派遣したものの、説得に失敗。薩摩藩同士の斬りあいに発展し、有馬新七以下6名はその場で死亡。残る2名も切腹になるという事件です。有馬新七らと合流して、生き残って薩摩に送り返された中には、西郷隆盛の弟西郷従道、後の陸軍元帥大山巌、西南戦争で西郷に従った篠原 国幹など後の明治の元勲たちもいます。

 それではなぜ同じ薩摩藩の中でこのような仲間割れが生じたのでしょうか。
彼ら下級武士たちが突出(脱藩)しようとした際に、藩主島津忠義直筆の諭状を貰い、以後《精忠組》として島津久光率いる薩摩藩の中心的な家臣団として組み込まれていきますが、翌1860年、井伊直弼暗殺の桜田門外の変のとき、薩摩から参加した有村兄弟(有村次左衛門、有村雄介)を藩だけでなく、《精忠組》のリーダー格の大久保らが見放したと、有馬新七は感じていたようです。このあたりから、《精忠組》の中で自分の保身を考える大久保利通らと有馬新七の間のわだかまりが深くなっていったと推測されます。
 大久保利通は、当時ほとんど薩摩藩以外の世界を知らず、したがって他藩の有志たちの交流もない中にいましたが、有馬新七は若いころから江戸に留学し、山崎闇斎派のいわゆる崎門学派を修めています。また福岡藩士平野国臣など極めつけの勤皇倒幕派であった志士などとも交流があり、当時の勤皇攘夷思想の洗礼を真っ向から浴びていたようです。寺田屋事件も平野国臣がたぶんに仕掛けてきたようにも思われます。そして有馬は平野と意気投合したのかも知れません。
 彼の教養遍歴は、 6歳にして漢籍を学び始め、14歳から山崎闇斎学派の漢学を学び、16歳にて藩校造士館書役を命じられるものの拒否。閉門に処せられ、古事記研究に没頭。18歳にて江戸に上がり、山崎闇斎学派の碩学山口重昭の門下生となり、まるまる三年間修養。21歳のとき薩摩に帰国。
 このように有馬新七の学問遍歴を見てみますと、少年の頃から国学への傾倒が見受けられ、江戸での三年間の留学は、彼の筋金入りの勤皇思想を完成するものだったように感じます。山崎闇斎学派の特徴は、この国の究極的正統な支配者は天皇であり、それは絶対であり、それは朱子学の言うところの《理》の発現に他ならないという考えかたにあります。したがつて、その思想を極めれば、行き着く先は、藩主の命より、天皇の命に従うのが、日本人としての義務となります。藩主より天皇が上に置かれます。その頃の藩とは、現在の私たちが考える以上に、ひとつの宇宙であり、生殺与奪の権を握る究極的な世界であるわけで、幕府がサムライたちの究極的な世界ではありません。藩を超えるということは、すなわち異邦人になるということであり、今で言えば無国籍の人間になるというような感覚です。したがって当時のサムライたちにとって、藩主が自分たちの生活と生命の生殺与奪の権利を支配している究極的な存在であつたのです。ところが、有馬新七の頭には、このころすでに《藩》という世界を超えていく思想が芽生えていたと思われ、それが、藩主と同格の島津久光の命に従わずとも、天皇の命にのみ従えばよいという行動に出たわけです。その悲劇が俗に《寺田屋事件》と呼ばれる事件に結果したということだと思います。

 有馬新七は生涯に三度結婚。三度目の妻との間に一男一女。事件後有馬家は士分身分の剥奪、長男幹太郎は親類預かり。1864年には士籍復元。明治24年には有馬新七に従四位が追贈。
 

写真は、伊集院にある有馬新七を慕う有志によって建立された墓。有馬家はもともと伊集院の郷士でした。




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