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篤姫をめぐる人物関係

 篤姫がそもそも徳川将軍の正室として迎えられるには、それなりの理由があります。徳川将軍家の正室は伝統的に京都の公家から嫁ぐのがしきたりでしたので、徳川将軍の家臣となる大名家から嫁ぐのはそもそもしきたりに反することでした。
 事の発端は、島津家第5代当主島津豊継の継室として、徳川綱吉の養女であった竹姫が島津家に嫁いできたことに始まります。竹姫の婚礼は、徳川吉宗によるもので、島津家に決まったのも島津氏と近衛家との関係抜きにはあり得ません。
 その竹姫の遺言として、島津家と一橋家との縁組が行われることになり、これが島津重豪の娘茂姫と一橋豊千代との婚姻に繋がります。島津重豪は、江戸にあった竹姫の下で養育されたので、島津重豪は竹姫の意向を尊重していたと思います。一橋豊千代は、徳川家治の嫡子家基が急死したことで、家治の養子となり、結果として11代将軍徳川家斉になるわけです。茂姫も結果として将軍家の御台所となります。こうして、一介の外様大名であった島津氏と徳川将軍家との縁戚関係が始まるわけです。


 ところで、島津氏と徳川将軍家との縁戚関係のパイク役を果たしのが、近衛家の存在です。近衛家と島津氏との平安、鎌倉時代からのつながりが、島津氏が700年も命脈を保ち続け、やがて日本の表舞台に出てくることになったと考えています。突如 歴史の表舞台に島津氏が何の脈絡もなく登場してきて、幕末に活躍したなんて考えるのは素朴すぎます。島津斉彬、西郷隆盛などが京都で暗躍できたのも、背後に近衛家がいたからでしょう。

 島津重豪という殿様は、加治木島津家出身で、この殿様がその後の島津氏の流れを決定したと言ってもいいと思います。息子の斉宣、孫の斉興、曾孫の斉彬の時代まで生き、藩政を牛耳った殿様です。息子の斉宣は父重豪の積極財政から緊縮財政へ転換したことで、父の怒りをかって隠居させられ、孫の斉興に藩政を預けます。斉興の使命は現在の日本の財政再建と同じで、これを調所広郷と二人三脚でやります。ところが斉彬は重豪の薫陶を受け、開化的で、保守的な斉興とは馬が合いません。ここに、斉興、その側室お由羅、調所広郷一派と、斉彬を支持する一派との抗争が始まります。これが俗に言う《お由羅騒動》となるわけです。仕掛け人は斉彬の方で、この手あの手を使って調所広郷の追い落とし、父斉興の隠居を画策し、幕閣の阿部正弘など中央政界の開明派の支持もあって、ようやく念願の薩摩藩主の座を獲得しますが、すでに齢40歳代です。50歳で急逝しますが、この7年間ほどが、日本の命運を決定したのかもしれません。
 斉彬の急逝には、暗殺説が昔からあって、作家の観音寺潮五郎氏はこの立場です。斉彬の秘蔵っ子だった西郷隆盛も暗殺説を信じていたふしがあって、これが西郷の大の久光嫌いの伏線になっているのではとの説もあります。今となってはすべて闇の中です。


 小松帯刀の存在は、幕末の中で、西郷隆盛、大久保利通ほど語られることもなかった人物ですが、今回の大河ドラマをきっかけにもっとスポットライトが当てられてもよいと思います。西郷や大久保など薩摩藩の下級武士と他藩との人脈形成に大きな役割を果たしたと考えています。西郷は無論、斉彬の秘蔵っ子として橋本佐内、藤田東湖など当時の一級の知識人たちとの人脈を形成していますが、倒幕へむけた人脈つくり、藩論形成には、小松帯刀の中道的かつ開明的な知性、家格、血筋はなくてはならないものでした。藩主と下級武士たちのパイプ役はどうしても必要でした。小松帯刀が明治維新後も生きていれば、西郷と大久保の運命もまた異なっていただろうなと思う次第です。



 篤姫が死んだとき、ほとんど所持金を持っていなかったことは有名な語り草になつていますが、これは薩摩からの度重なる支援を断り続けていたからです。彼女は心身ともに障害のある徳川家定に嫁ぎますが、わずか1年半後には家定と死別し未亡人になります。夫婦生活などはじめから期待されるものではなく、子もできないことはわかっていました。その後の彼女の人生は、一筋に嫁ぎ先の徳川家に捧げられます。江戸城攻撃の際も、西郷の言うことにも耳を貸さず、江戸城を立ち退かず、徳川家と運命を供にします。彼女の精一杯のプライド、女の意地が感じられます。二階に上げておきながら梯子をはずされたような、そんな感じがします。薩摩からの経済的援助を拒み続け、生涯薩摩を見ることもなかったのは、かつての主君に刃を向けてきた薩摩への精一杯の彼女なりの《サムライのプライド》と見ます。
 晩年の彼女の心の中には、もはや薩摩への郷愁の念などひとかけらもなかったのではないでしょうか。むしろ薩摩への憎しみすら私には感じられます。そんな彼女の空しさ、寂しさ、一人の女としての薄幸な人生を理解してくれていたのが、勝海舟だったのではないでしょうか。
 
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