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隼人とクマソとの関係


  隼人族とクマソ族との関係については、定説となるほどのものはないようです。
隼人研究者の中村明蔵氏によれば、同一族のようです。中にはクマソは白人の子孫であるという説を展開される研究者もいますが、私も隼人族クマソ族同一族を取るものです。
今回は、隼人族とクマソ族とは同じものであることを説く説の中でも、最も合理的な説を紹介しましょう。
 黒済秀雄氏他共著による《古代日本と海人》によれば、日本古代の王朝を四つの征服王朝として区分します。第一王朝が中国江南地方をルーツとする神武王朝。それを征服した第二王朝の崇神王朝。これは北アジア大陸をルーツとするもの。これをさらに征服するものが第三王朝で、中国江南からさらに朝鮮半島経由をルーツとする応神王朝。そして最後の王朝として登場するのが、継体王朝。継体天皇が現在の北陸地方にそのルーツがあることはよく知られているところで、これは第二王朝とおなじ、北方アジア大陸がルーツ。
 隼人族とは、第一王朝とともに日本にやってきた中国江南地方(現在の雲南地方)からの渡来系であるとし、神武王朝と隼人族との強い関係が、合理的に説明されています。
 そしてクマソの名が使用されているのは、崇神王朝時代のみであること、当然クマソ征伐の話も、この王朝の時代のみであることを指摘し、クマソとは、先の王朝を倒した崇神王朝だけが、征伐すべき部族に対して使用していたものと指摘されています。
 最後の王朝継体王朝は北方系の征服王朝であるので、隼人の名は歴史書の中から消えていく運命にあるわけですが、日本最初の王朝であった神武王朝と切っても切れない関係にあった一族で、その伝統はその後の王朝の中にも残されていったものと考えられるわけです。それほど隼人の担っていた伝統は、精神的な重きを成していたということでしょう。

写真は隼人の盾の複製品


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