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鹿児島の名前の由来は・・・ 


  鹿児島県の公式ホームページには、鹿児島の名前の由来を次のように紹介しています。
『古くは桜島のことを鹿児島と呼んでいたという(薩摩・大隅半島に囲まれた島という意味か?)。鹿児島そのものの名の由来は、野生の鹿の子が多く生息していたからとか、火山を意味するカグという言葉からとか、多くの水夫(かこ)が住んでいたからとか、さまざまな説がある。』と。この説の中にかなり真実に使い物があるとおもわれまが、  今回は、その鹿児島の名前の由来について別の角度から考えてみたいと思います。この由来の中にも、鹿児島の地名由来が見えてくるからです。

 今回紹介するものは、鹿児島のカゴが古代朝鮮語のKuri(銅)に由来している可能性です。この説は、大和岩雄氏が『秦氏の研究』のなかで紹介しているものです。また朝鮮語では鉱山のことを 「カグ」とか「カゴ」とか発音していたことも紹介しています。
 香具山 加賀山とかなると、鉱山であることをほのめかしているようです。本来カゴが「銅」を意味していた物が、銅から鉄器の時代に変化するにつれて、「銅」が「かね」全般の意味に転化していきます。カゴは、銅 鉄などの鉱物資源全般を意味してくるようになります。
 そこで、問題は、鹿児島がどのくらい鉱山と関係しているのかという問題が一点、もう一点は、古代朝鮮語の「カゴ」がどうして採用されたのかという問題を考える必要があるかと思います。
 今回は 最初の問題 つまり鹿児島と鉱山との関係を紹介することにしましょう。
 鹿児島が鉱山を意味する「カゴ」に由来するとすれば、鹿児島は古来より鉱物資源の豊富な場所として知られていたのかということですが、先に紹介した大和岩雄氏は、古代朝鮮渡来民と鹿児島との関係から説明してあるのみで、実際の鉱山関係との絡みでは説明はしてありません。
 しかし、私は鹿児島が鉱物資源の宝庫であることは、その道の人間には知られていた事実ではないかと推測しています。その道の人間というのは、大和岩雄氏が指摘されている秦氏のことだと推測しています。さらには、その先住民であった「ハヤト」の人々も何らかのことで関わっていたのではないでしょうか。「ハヤト」が近畿に移住させられたり、秦氏が大量に大隅の地に移住してくるのは、「ハヤト」懐柔策の一環だったことなど、秦氏との接点は可能だからです。
 鹿児島で金山、錫山、銅山が盛んに採掘され出すのは、江戸時代に入ってからということになっていますが、それはあくまで歴史の文書に留めてあるというだけにすぎないのではないでしょうか。
 鹿児島と鉱物資源との関係については、地理の勉強をした方でもピンとこないのではないかと思いますので、ここに日本全国に占める鉱物資源の一つ、金鉱山の分布図と産出量の図をお見せしたいと思います。これで鹿児島がいかに日本のなかでも鉱物資源に恵まれている地域が一目瞭然です。
 鹿児島が「カゴ」=「かね」に由来していることも根拠のないことではないことがおわかりいただけるかと思います。


《追記》
・《続日本紀》の中で現在の錦江湾の中に噴火による島ができたとき《鹿嶋》の文言が見られることが、史料的に鹿児島との一番古い繋がりを示すものと考えられると言われますが、それでは、なぜ《鹿嶋》という名前が起こってきたのかこれではまったく由来を説明できていません。
 それに対して、《鹿児島》という名前と直接つながってくる《鹿》という文字に注目することで、俄然《鹿児島》という地名に隠されてきた歴史が見えてきます。《鹿児島》の地名の由来には《鹿》と切り離せない何かがあったと考えるべきです。

・佐藤和夫氏は《海と水軍の日本史》の中で、鹿と海との繋がりはかなりあるのではないかと示唆されていて、《男鹿半島》《牡鹿半島》《鹿島》などの地名を挙げておられます。水夫=鹿子であり、それは水夫が鹿の角を着けていた伝承に由来しているとのことを指摘しています。
 このような《鹿》についての歴史的考察の核心部分をついているのが、平林章仁氏の《鹿と鳥の文化史》です。

 平林氏によれば、古代では、鹿は海や河川を泳いでいたことが頻繁に見受けられていたこと、そのような伝承を受け継いでいる日本各地の例を挙げています。宮城県の牡鹿半島、茨城県の鹿島、岡山県の鹿久居島、広島県の宮島、愛媛県の大三島、兵庫県の淡路島、福岡県の糸島など、鹿と何らかの伝承を持ってきた全国各地の地名を挙げています。現在でもその名残として鹿が生息しています。
 そして、問題の核心は、鹿は海人(山人ではない)の狩猟対象であったことを指摘していることです。これは、鹿が海を渡るときに、動きの鈍った鹿を捕らえていたこと、または鹿を海に追い込んで猟をしていたといことです。猟という活動を山間部の活動に固定的にイメージすることこそ、問題をわからなくすることでもあると指摘されています。海人こそ、狩猟民であり、その活動は、海の中から、それをやがて山の中へと拡大していったと考えられるわけです。その意味で、日本の弓の原型は、実は海人たちが使用していた《鹿児弓》《鹿児矢》であった可能性が大であることも示唆されているわけです。弓で魚の漁をする風景は現在でも太平洋の島々では見受けられます。
 また、古代より鹿は神聖なイメージとして理解され、世界各地、日本でも鹿の神聖な意味合いを踏襲し、儀式の中で、鹿の角を身にまとっていたことからも、海人である《水夫かこ》と《鹿児》とが同じイメージとしてタブらざるを得ない文化的状況が古代にはあったのであろうと推測されていますが、その通りだと思います。

 このように《鹿児島》と《水夫》、《海人》そして《鹿》とは、すべて繋がっていると考えられますが、鹿児島で海人と言えば、これは《隼人》以外に考えられないわけで、隼人はやがて日本各地にコロニーを作り定住していったと考えられますが、隼人と鹿児島との密な接点は、はじめに紹介した鉱山関係が浮かび上がってくるわけです。隼人は積極的に鉱山物資開発に関わっていたことは、薩摩半島での《ヒスイ》の加工跡、砂鉄など原始的な資源によるよる製鉄活動などの痕跡を考えると否定できないように思われます。
 現在の私たちの偏見は、海人は海、山人は山、弥生人は稲作定住生活というステレオタイプ化された発想でしか、物事を考えようとしないことです。先ほどの平林氏の指摘されているように、狩猟は海人から始まり、それは海も山もボーダーはなかったのではないのかということです。日本の弓の起源など追求していけばもっと面白いことがわかってくるような気がします。そうすることで、武士文化である鹿狩の政治的宗教的儀式の意味、瀬戸内海の大三島という島に歴代の武将たちの弓矢が奉納されている歴史的ルーツも合理的に説明できると思います。


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