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桐野利秋の開墾地跡

明治6年の通称《征韓論》で大久保、岩倉との政治対決に敗れ、鹿児島に帰郷してきた西郷隆盛に従って、多くの薩摩出身の官吏たちが西郷を慕って帰郷しますが、桐野利秋も陸軍少将の地位を捨てて、帰郷します。
 彼は生まれ故郷のこの地で、失業した武士たちのための授産施設として、《私学校》の若者たちの教育施設の一環としてこの地を開墾します。
この地に隠棲しても、各地の反政府の志士たちが頻繁に訪ねてきています。西郷が創設した《私学校》も西郷は日当山あたりで牧歌的な日々をすごしていたので、実質鹿児島市の《私学校》を取り仕切っていたような感じでした。《西南戦争》は《桐野どんの戦争ごわした》などという風説が一般化したのも、このあたりに原因があるわけです。



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