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もう一人の篤姫 ― 貞姫と薩摩の人脈

上の略系図は、加治木町郷土歴史館に用意してあるパンフレット《貞姫・篤姫系図》に私が少々手を加えたものです。青い文字の部分が追加したものです。
 2008年度のNHK大河ドラマ《篤姫》をご覧頂いた方は、記憶にあるかと思いますが、最終回放映の中で、篤姫が徳川家達に新しい嫁ができ、コロッケ扮する写真屋が写真撮影をする場面がありますが、あの場面の中で登場している家達の嫁泰子は、実は篤姫と同じ島津の血を引く人物です。
 泰子の母は、貞姫という人ですが、もともとこの人は加治木島津家の娘でありまして、島津本家の養女として近衛忠房に嫁ぎます。婚姻の話は貞姫の10歳前後のころですから、島津斉彬の画策の一環だろうと思いますが、斉彬の死によりその後10年ほど延期されていたものを、島津久光の代になって、やっと婚礼となります。
 大河ドラマの中では、なぜ唐突に家達の嫁として泰子が登場してくるのか、まったく説明されていませんが、上の略系図を見れば幕末から明治にかけての時代の中で、薩摩が国家中枢の中へ流れ込んでいく様をうかがうことができます。
 島津家というのは、他の外様大名とは、どこかちがうところがあって、徳川政権に取って代わって、いうなれば明治政権という新しい政権を奪取していくわけです。このような歴史の表舞台に打って出られるようになったことの一因に、朝廷との長く深い関係があったと考えているわけです。特に近衛家との長く密接な関係は、薩摩にとっては、新しい足場となっていることが伺えます。
 
 
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