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西郷隆盛は本当の名前ではなかった


幕末の三傑として西郷隆盛の名前は不朽のものとして日本の歴史の中に刻まれていますが、実は西郷隆盛の実名については、意外に知られていないのです。
 西郷隆盛ほど生涯に名前をコロコロ変えている人はいません。
幼少のことは、西郷小吉、西郷吉之助。大久保利通が大河ドラマの中で西郷のことを《吉之助さあ》と呼んでいますが、この頃は西郷吉之助と呼ばれています。
月照と入水事件を起こして大島配流となるときには、《菊池源吾》となります。これは西郷の先祖が肥後の菊池一族であることにちなんでいます。
大島に三年間配流されて鹿児島に帰還する際には、大島に三年間いたから《大島三右衛門》となります。また《大島吉之助》、《三助》、《南洲先生》。
 西郷が正式に《隆盛》に固定化されるのは、戊辰戦争から帰還して、朝廷からの召しだし状に記載する際に、人づてに西郷の本名は《隆盛》ではないかと言われたのがきっかけ。竹馬の友大久保利通すら西郷の本命は知らなかったとか。
 西郷隆盛という人、いかに自分の名前にいい加減であつたかわかります。若いときから禅に親しみ、その教えを受けていた西郷にしてみれば、人の名前など、実体を表現するための便宜的な記号のようなものでしかないものと考えられていたのではないでしょうか。何か本質的なものだけに眼が向いていた西郷隆盛という人間が見えてきます。写真を取らせなかったことも、このことと何か関係がありそうです。
 現在の子供たちに対する親のネーミングに対するこだわりを見るにつれて、西郷隆盛のことなどを考えると、何か大切なものを私たちは失ってきたような気がします。 昔の人々の知恵というものは、私たち人間をもっと自由に生かしてくれるそうな気がします。長男だから一郎、次男だから次郎、先祖代々隆の一字を使用してきたので、隆久、元服すれば名前を変えるなど、人間は所詮社会的動物であることを示す、これほどわかりやすいネーミングの方法をわたしは知りません。

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