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島津氏発祥の地で揺れる |
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2008年NHK大河ドラマ《篤姫》の出身島津氏に注目が集まる中、島津氏の地元鹿児島では島津氏の発祥の地をめぐって揺れています。 島津氏発祥の地と主張していた鹿児島県出水市に対して、宮崎県都城市がこちらが島津氏発祥の地であると言い出したからです。 薩摩紀行に掲載してあるように、出水市の感応寺跡には島津氏初代忠久から5代貞久までの墓があります。また出水の鶴渡来地の近くに残されている館跡が、島津氏が薩摩の守護としてこの地に入地したときの政務場所跡とされているところです。実際に薩摩のこの地に現地支配者として入り込んできたのは3代久経のときからといわれていますので、出水の地が、確かに薩摩守護としての島津氏の実質的な興りの地であるとも言えます。 これに対して、都城市には、祝吉御所跡があります。これは島津氏初代が薩摩、大隈、日向の荘園地を源頼朝からあてがわれて、この地の守護、総地頭職となり、この地に足を踏み入れ政務をとったところと伝えられているところです。しかし、実際には初代忠久は鎌倉からこの地に来たことはありません。しかしこの地が島津氏という姓の興りであることは確かなので、この意味で、都城市こそ島津氏発祥の地と言えることになります。 島津荘園がどのようにして発生したのかについては、サムライたちの墓―九州編―平季基の墓で説明していますので、そちらをご覧下さい。大宰府の役人だった平季基が九州の未開拓地であったこの地に目をつけて私領として開発し、それを藤原氏に寄進した荘園として発生したものです。膨大な土地だったこの地が惟宗忠久(後の島津忠久)に託されたのも、近衛家の荘園だったからです。 いずれにしても、鹿児島県の出水、宮崎県の都城、どちらも島津発祥の地を申請する資格はあると思います。 |
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関連ページ サムライたちの墓―平季基 薩摩紀行―島津氏略系図 薩摩紀行―島津氏のルーツ 古城紀行―鹿児島―木牟礼城跡 サムライたちの墓―九州編―島津氏初代から5代までの墓 |
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